確かな技術とは⇒安心させる技術

別の日取りで書こうと思うが、発達障害として生まれた僕には、どうにも苦手で耐えられない事物や事象が沢山ある。でも今日は安心できる物や事の話。

 

BSテレビで【おしん】を放送している。リアルタイムで放送されていた時は僕はまだ子供で、NHKのクソ真面目ドラマなんかどんなに流行でも見ねえよとか思っていたが、さすがにいい歳になって受容力がいくらか付いた今は良さがわかる。まあ、パワハラ・セクハラ・モラハラ満載の登場人物に嫌氣がさしたりするし、それでも耐えて戦う【おしん】の驚異的な防御力と闘争心と克己心はいったいどこから出るんだよと不思議に思ったりする。

でも僕が感じ入るのはドラマの方じゃなくて、【おしん】の晩年期を演じている女優の故・音羽信子さんの演技力の方だ。

上手い、と一言くらいで語れない物だ。一時代を築いた女の役としてセリフの言い回しが重厚なんだけど歌を聴くように心地よく、視線や物腰が舞踊を見るように滑らかで美しい。視聴者に無理やり押し付けるような動作行為が無くて、役を演じているだけなのに見る限りの全てが安らぐ。観ていて、安心できるのだ。

そういえばこの人、宝塚に入団したものの小柄な体系と平凡な顔立ちがハンディになり役に恵まれない時期が長かったが、『私は人の三倍、四倍努力して、やっと人並』の信念をもって稽古に精進して女優になれた人と聞いた。

プロだからそれくらいやれなきゃ、という事なのだろう。実際この時代って、人の三倍だ四倍だと努力しなきゃプロじゃないという風潮は確かにあった。でもそういう努力で技術を身につけた者は、それを提供される側には【安心】を与える者だった。テレビの役者に限らず日常生活の場にもそういう人がいる。近所にもいたりする。そういう者たちの確かな技術(他者との接し方や世の中との関わり方)は、触れているこちらが安心できるものなんだなとつくづく思う。僕はこうなりたいと思い生活そのものを鍛錬のつもりでやってきたが、なにかピントがずれているのか全く成果にならなかった。むしろ周囲が反発したり呆れたりしたように見える。安心させる技術を持つ人はすごい。ただ、できませんやれませんで終わるのは面白くない。どのみち僕は発達障害。ハンディを負った状態ならそのままチャレンジして前のめりに死ぬのも悪くない。