なぜ、動物に対して親しみが湧くのか

僕が幼児の頃、我が家では父親が購入した大柄なシェパードがいた。

僕より大柄で、当然の事だが付近の他者が接近すると獰猛に吠えた。

でも僕はこの犬が大好きで『ぬいぐるみみたいに毛並みが良くてかわいい』と思い、氣の向くまま撫でたり抱き着いたりしてしょっちゅう一緒に過ごした。犬も僕に自由に撫でられ、舌で舐めた。まあ臭かったが不快どころか嬉しかった。

それ以来というべきか、我が家では常に動物がおり家族の一員として暮らした。犬のほかインコなども。今は猫たちがいる。猫は生まれつき自立しているのか、親に教えられなくてもご飯は座って食べるしトイレで排泄する。それぞれで走り回ったり取っ組み合いしたり、オモチャでの遊びをねだったりものを引っ張り出して悪戯したり。あちこちで氣儘に寝転がったりするが、居心地の良さや寂しさの解消を求めてか、僕と一緒の布団で寝ようとしたりする。

動物は好きだ。べつに理由無く生理的なレベルで好きだとも思える。

動物園などで熊や虎をみれば怖いし懐くはずもなく逆に殺されるかも知れない恐怖も解るが、それは畏敬の念という形で『好き』と感じる。動物は安心できるし親しみが湧く。

僕にとって、だが人間ならこうは感じない。人間というものは、意味もなく危害を加えてきたり悪意を隠しもってこちらを伺ったり、隙あれば攻撃してきたり(フィジカル的にもメンタル的の意味も含む)、こちらの何か(同)を強奪しようとする事もある。そもそも、人間が付近に存在するときは、それらの人間に対して無礼失礼・怪しげ・脅威などが無いという意思表示をし、同時に自分も警戒しなければならず、事情によってはそれら人間たちに楽しい思いをさせなければならない、という見えない不文律が存在している。それが人間社会に思える。

冗談抜きで本当に面倒くさいのだ。今日も僕は、そんな人間社会でどう生きていくのが安全かを研究しなければならない羽目になり、おそらく死ぬまでこの命題に追い回される。