暴力の理由 (物理的手段を使い相手の身体あるいは心を叩き壊す事の話)

(※…今から書き連ねる文章は僕の個人的な偏見でしかなく万人に当てはまるものでないことですので御了承ください)

 

 

ハッキリ言って、弱い相手を選んでやっている。反撃してきたとしても勝てそうな相手を選んでやっている。やると決めたらちゃんと準備してからやる。自分だけは無事に勝ったうえで逃げおおせるくらいの準備は済ませてからやる。必要なら自分の味方を揃えてからやるくらいの事はする。自分が助かる準備は完璧にする。

万が一逃げるのに失敗したら?簡単なこと。開き直る。ああそうだよやったよ。だからなんだそれがどうした、みたいな。もう一つの手は自分が被害者になること。相手を加害者にしたて上げること。相手がいままでこんなことをしてきたから耐えられなかったとか。ストレスに耐え兼ねてとか、社会のせいにする場合もある。

 

とにかく、自分は何も悪くないとの事。

 

さらに手を加えて、『わかりました悪いのはワタクシですワタクシの誠意が通じないならそれでもいいです憎んでください我慢します』という潔白に化ける作戦もある。

ついでに言うならそういう輩は人だけでなく動物にも同じことをやってる。

 

で、なぜ、(物理的手段を使い相手の身体あるいは心を叩き壊す事)をするのか。

 

そういうニンゲンにもそういうニンゲンの生きてきた背景と事情があるから僕だけの予想やあてずっぽうで言えない。

でも二つだけ。一つは、ありきたりだが、死ぬほど本氣で相手を想うという経験して、そこから始まる新たな展開を自分で受け止めて、味わうってことをしてないのではないかと思う。誰かを(人に限らず動物でも)踏みつぶしても、なんとも思わないタイプだと思う。

 

もう一つは、心に余裕がなくなって身体が不具合をきたし、その不快感がまた心に返ってきて衝動的に暴力・暴言を発するタイプ。まあ、世の中にはそういう自分を『ストレス解消』と称して野放図にしてるニンゲンも実際、いる。

 

今の僕は後者だ。いや告白すれば、元来の僕が後者だ。

以前のエントリーに書いた『誓い』とは、自分に余裕がないときは逃げること。誰かを壊す事は嫌だ。

 

他に、暴力を防ぐ手段までは今は書く氣力がなくなってる