したいのに、できないという苦しみ

昨日のエントリーで、『マイペースで学べば理解できる』と書いた。だけど今の僕は最早それどころでは無い。自動車でいうならエンストを起こし路上停車。少しの間を置けば動き出すがしばらくしてまた停まるの繰り返し。時には低速でしか走行できなかったり、日によっては完全に動かなくなるような有様である。しかもそんな状態で燃料だけは食っている。日常生活のツールとしてはこんなものが使えるハズもなく修理屋行きだろう。いやその前に、自動車のそんな状態を見たら持ち主でも誰でも言うだろう。

『はぁ?何で動かねぇんだ?』『故障か?とりあえず修理屋に持ってっか』

人によっては、

『何で動かねぇんだムカつく』今風に言えば『使えねぇ』とかかな。

JAFにコールした後、愛着ある車なら落ち込んだり修復を願ったりするだろう。

でも、蹴とばす人もいるかも知れない(笑)。

僕がまさしくそんな自動車になりそんな扱いを受けた。職業人も車も扱いは大差ない。

 

扱われた内容については恨みつらみよりも実例としてストックし、当人を研究材料にして他の人との関わりでの悪い例として生かすという方法で乗り切れる。今の僕には難儀な作業だが、正しい対処を知っているのは安心できるので状況観察でいい。そんな事より問題なのは、今からこれからの先の見通しができない事…

 

僕は医療の職業に就いていた。キャリアは20年ほど。

医療は日々進歩するので知識は定期的にアップデートが要る。テキストも買い勉強会が催されれば出た。自分の知識と技術が増えるのは楽しい。なにより誰かの役に立てるものだし話題にできるのでコミュニケーションに繋がった。時に難解だったり面倒だったりも当然あって放り出しもしたが、人との健全な関わりという目的があったので、放り出すのも期間限定となり、再度勉強に迎えた。

あるアクシデントに遭い、あの職場に就職する事になったのは間違いなく発症のきっかけだったと思う。でも起きた事実は事実として対処するだけだと思っている。

 

で、対処って何をすることか。

 

病氣が病氣だし発症までの経過は身内は知っているので、皆が『今は休め。旅行に行くのも良いんじゃないか』とまで言ってくれてありがたかった。旅行は一人で行ったところで面白くもないので小康状態のときにする。とりあえず身内の行為に甘えて家庭内で休養しているが、一か月経過しても良くならない。いや悪化したかも知れない。

 

人の役に立ち繋がりのツールだった医学知識が頭に入らなくなった。いや寧ろ、文字を追ってテキストを読む作業に拒絶が起きる。『読んで理解』ができなくなった。

医学テキストだけでなく新聞もある程度までしか読めない。他の本も。まるで胃に炎症が起きて食べたものを受け付けず嘔吐するように、理解できない脳になっている。

一か月前に受けた知能検査や精神科受診や脳外科でのMRIもCTも異常無しの診断。自分に起きた症状とはいえ初めての事で、恐ろしくもある。

正直に書けばスマホの操作だってワケの解らない事だらけだが使える部分以外は放置していた。このブログも。修正したい部分はあるが、ワケの解らないPC用語を見て、理解できない。嫌氣がさして投げ出すほどだ。これでは自動車でいう廃車も冗談では済まないかも知れない。自分を見捨てたくないがどうしていいのかわからない…