力量不足。

僕は恵まれており助けられている。こんな役立たずに落ちても生活させてもらえている。僕を理解しようとしてくれる人や、障害の有無も知らなくても助けてくれる人は、結構いてくれる。何にもできず落ちぶれて泣いている僕は、彼らのありがたみが身に染みている。感謝しきれない。

今の僕のアタマでは彼らについて上手く整理して説明できないので、ただ手当たり次第に書こうと思う。

 

まずは母親のおかげ。社会的弱者を援助する仕事に従事していたので、定年となった今でもそういう人たちの心情や暮らしに必要な援助や手続きが解り、最近になってようやく注目され始めた発達障害も自力で調べ学んでいる。だからなのか、僕がこういう状態になる前、それこそ子供時代から、発達障害の氣はあったと回想し納得し、今の僕に理解を示し生活を助けてくれる。

子供時代の僕に打開策を見出せなかったのは母も若かったため仕事に忙殺されていたから。そして、僕の子供時代には世の中には【発達障害】などという認識すらなかったからなんだなと、長じてから解ってきた。

そして、交際してくれている女性。この人は僕の障害に薄々感づいていたらしいが、それでも交際してくれている。詳しく書く事は控えるが、死を選んでも不思議ではない酷い経験をしてきた人だ。いまだにその心の傷は癒えていない事がわかる。それでも働き、社会と交流を欠かさず、甘えない力強さを持っており、社会性の乏しい僕の相談に応じて助けてくれる。

 

いわゆる【世間一般の普通の人間】なら、母を扶養して隠居させ道楽に勤しませるだろうし、交際相手をめとって養い子供を作り育てあげるのだろう。だが【世間一般の普通の人間】以下の能力しかない僕には、そういう能力が無い。だから現状のまま、この二人の女性に助けられ、苦労させている。

この二人に感謝を示したくて、何としても何か具体的な感謝を捧げたくて、母には質問しながら家事を手助けしている。指定日のゴミ出し・作れるメニューでの食事作り・食後の食器洗いと乾燥後の片づけ。飼っている猫のトイレ掃除など。交際している女性には、今まで培ってきた医学的知識をもとにした健康情報の提供・彼女が仕事から帰ってきたり、休日に二人で過ごす時の身体マッサージ・彼女と出かける時には彼女のリクエストを聞き二人で楽しむ・可能な限り彼女を睡眠(安眠)させる・その他、彼女を観察しながら、彼女が喜び安らぐ事物や話題の収集や知識の仕入れを行い実行・など。

 

今の【世間一般の男性】とは掛け離れた僕は、自分にできることしかできない。だが大事な人に助けてもらってばかりではそれこそ『男が廃る』。もしくは『男が立たない』。

え?この程度で?と自分でも思う(笑)。こんなちっぽけになった男なのにと(笑)。

でも本当に本心から、自分が大切に思う相手には、なんとかして、なにかをしてあげたいという氣持ちは消えない。