生きていく手掛かり

子供の頃から運動は苦手だった。そう、正に【運動】そのものが苦手で、当然その言葉の中にスポーツが入り、家庭でのお手伝い的な労働も入り、日常生活の行動全般が入る。だがこれについては別の機会に書こうと思う。今回書きたいのは子供の頃に課せられるもう一つの課題、【勉強】の事である。

ただ、この【勉強】に関しては、僕にとっては運動と同じく苦手だとはいえない部分があった。そのことを書こうと思う。

 

今月 日のエントリーの通り、小学一年生の頃の僕にとっての勉強とは【何だか解らないデカい建物の中で先生とかいうオバさんが喋る話】だった。そもそも平仮名の書き取り練習でさえ他の子供と違って一年生になってから開始するほどで、まさに以前伯母に指摘された通りの【遅れた子】だった。

漢字ドリルという帳面を配られて書けと言われたが何を書いて良いのか解らず問題の漢字を模写して図形みたいなものを書き、当然のように(✔)を書かれた。そもそもドリルって何だろう?何で地底戦車の武器の名前が帳面の名前なんだろうとかしか考えなかった。我ながらバカである。

他の教科も似たり寄ったり。算数は林檎が何個、蜜柑が何個あっても知らないよと思い、社会は石油がどこから運ばれるかなんて家にあるから良いだろと思い、理科は植物は勝手に生えてるから好きに見れば良いし実験は意味解らず。図工は遊びでしかなかった。結果は当然オール1で母に怒られる。怖くて泣く。でも僕の成績は変わらなかった。

 

勉強しなくたって何も困らなかったから。勉強すれば何がどうなるのか、何でしなきゃいけないのか、知らなかったし誰に聞いても納得いく回答は無かったから何の必要性も感じなかった。そして当時のテレビ漫画の、勉強できない・嫌いなキャラクターを真に受けて、ただのほほんと生きていた子供だった。勉強しなくてもただ生きていれると思っていた。

 

中学生になると高校入試とか偏差値とかいうものの話題が出始め、皆が勉強をそれなりに開始し始めた。僕も真似したが小学校の基礎が無いので解らない。

 

なんでこんな訳わからないんだろう。じゃあ前に戻って調べるか。と思い、ただなんとなく、意味の解らない部分を、前の教科書に戻って調べ、辞典引いて調べ、意味が解ったら、数学は公式を、国語は漢字と文の意味を、理科は反応を、そして全教科の問題の解き方のルールみたいなものを、家でじっくり、マイペースで時間無制限で読み込んだ。

その後に受けた2年生2学期の中間と期末テストはほぼ全て80点以上。テスト返しの時に先生が歓喜して僕の名を呼び、クラスメイトたちが驚きの声を挙げ、中には、オマエ頭いいじゃんかと言い出したり、この教科教えてと言われたりして、付き合い難かったクラスメイトたちと、中学生になって初めての健全な交友が始まったと思えた瞬間だった。生まれて初めて【嬉しい】という感情の健全な感じ方を味わった時だった。

だが、勉強に飽きて成績は再度降下した。

 

人より愚鈍。ペースが遅い。ならば、自分のペースでじっくりと学ぶ。

この姿勢で、人生を一歩一歩、歩くのが僕の生き方の根っこではないかと、その後のトラブルに遭う度に思う。

だが時は流れ、一般社会の状勢は変わる。僕も歳を取る。何より、僕の歳に見合った役割と立場と能力が要求されるのが社会だ。マイペースなんて、通常の組織に就労してれば通用する事は無い。

だがこの手掛かりは足がかりにもなり、自分が生きていける方法と場所を探すのは、いずれ対面する課題と解っている。

 

(若干付記)

中学時代の教科の一つ、英語については、たまたま近所にあった帰国子女が経営する英語塾に、母が半強制的に入塾させて学ばせられた。この先生が非常に優秀で、学校テキストも使うが主に日常会話形式で生徒に自由に話させたり自分の海外生活を語ったりして、授業を行い楽しく学べた。また僕自身も幼児期に観たテレビの特撮ヒーロー番組で戦闘機の発射シーンに英語アナウンスが使われていたので英語はかっこいいという先入観があり功を奏した。外国語を学ぶというより地方の方言を覚え語り合うという感覚だった。学校での成績は90点代を維持していた。

 

余談だが、僕はBE動詞だの関係代名詞だの、一切知らず意識せず会話感覚、筆談感覚でのみ学んだ。でもこんな勉強法、お勧めしているわけではないので御了承ください。