他人の視点で見て、考える。

数週間前。会社を辞めて時間が出来たので、生涯学習センターに行って何か習い事を始めようと思った。他人を相手にして人間関係をゼロからやり直し、学び治そうと思ったからである。選んだ科目はまずは将棋。ゲームなので頭の体操にもなるし、コミュニケーションの道具にもなるだろうと思った。センターに行き教室を訪ね、責任者の方に参加を申し出て記名した。責任者は連盟の有段者の先生。やはり習い事の先生らしく礼儀正しい穏やかな態度と言葉使い。僕は安心感が沸き、氣分は良かった。

教室には人が少なかった。たまたまその日に大会があり、ほとんどの会員が移動したためとの事。先生と同年代くらいの老人が小学生を相手にしていた。

挨拶して盤を挟み座ると先生は早速、駒の動きを教えてくれた。具体的で言葉使いは優しい。

一通り教え終わると『さあ、あとは実戦あるのみです。』と言い、先ほどの小学生を指名して僕と対戦を命じた。

 

ちょっと、ちょっと待って欲しい。

 

僕は今、駒の動きを聞かされただけだ。しかも全部覚えきれていない。

 

『どんどんやって、強くなるんです。』

その手法は間違っていない。しかし正しくもない。

どの駒がどう動くかを把握しきれていないんだってば!

先生はニコニコ笑っていた、移動して他の子に指導し始めている。

 

ああやっぱり。ここでも僕は勘違いされている。

 

『一通り説明すれば自力で思考し行動できるだろう』と思われてしまうのだ。

 

初心者です。基礎もありませんと言っていたのに、やらせておけば自立行動できるだろうと思われたのだ。実際、僕の年齢や図体をみれば大概の人がそう思っても無理はない。ここから説明しなくてはならない。

 

相手の小学生には当然のように負けた。『なんでそんな手を打つの?』と言われた。当然である。有効打も無効打も解らないから。良い氣分が申し訳ない氣分に変わった。

 

僕の目的や内面、能力欠如の人間である事を知る由もない先生は、笑顔のまま次々と他の小学生を対戦させた。負け続けた。だから先生、駒の動かし方から練習させてください!とも言えず、小学生たちの失望を食らい続けた。

 

ギブアップして早退しようとした僕に、先生は将棋の道具と初心者向けマニュアルを貸してくれた。

初対面の人が僕に抱く過大評価は、僕にとっては難題である。