日常生活で起きた恐怖(1)

先日の事、交際している女性とドライブに行こうと約束して待ち合わせた。

約束の時間を10分すぎても現れない。電話したがでない。

30分過ぎたが現れず携帯に電話しても出ないため、事故に遭ったかと怖くなり彼女の実家に電話した。彼女の母が出て時間どうりに家を出たと呑気な口調で語った。

僕はコンビニから車を出して彼女が来ると思われる道を走った。途端に彼女から電話がきた。約束の場所に着いたという。僕は戻った。

彼女は何の異常もなく、平然とそこに立っていた。家を出るのが遅れたと言っていた。

僕は、事故に遭ったかも知れないと思い心配したと説明したが、彼女は大丈夫と言っただけだった。

 

…正直なところ、僕は彼女に対して怒りが湧いた。

なんだろうかこの態度は、心配させてごめんねくらい言わないのか。いやそれ以前に、30分も連絡なしで遅れたことにごめんの一言すらないのか。なぜなにも言わない。そう思った。

だが、言葉に出して彼女には言わない事にした。なぜなら遅刻を謝らない彼女の態度は失礼だと怒る事が、正しい人間関係に基づく判断なのかが解らないからである。

約束の時刻に連絡無しで遅刻しておいて平然としているこの態度は(僕の考えでは)どう考えても無礼だ。謝れよと思う。だがこの判断に自信が無い。

僕が、世間の常識とやらに基づいた判断と意見を述べても、なぜか相手から忌み嫌われて絶縁される事の方が多かった。逆に、相手の無礼を指摘せず我慢して合わせてあげると人間関係は壊れずスムーズに運んだ。だから、人間から無礼を受けても、黙って我慢して相手に合わせる方を選んで生きてきた。

だが顔には出たらしく彼女は不機嫌になってきた。しかし時間の経過とともに笑いながら話し始めた。僕もあわせた。

僕が感じる恐怖とは、自分の感覚である。

僕が良かれと思っている思考は、人間社会では害悪なんだろうか。解らない。

 

そのうち僕は、ただ街中を通行しているだけで、何者かに激怒されて叩き殺されるのかも知れない。