僕はこんな子供だった(幼児期)・(学童期)。
(幼児期)。
両親が共働き。定時退社の時刻まで僕は保育園ですごし、一人で帰宅する。
園から自宅までは500m程度だし、狭い近所は全て知り合いだから安全だった。
園では、お遊戯も友達との遊びも難なくできた。しかし、運動系の遊びはやらなかった。
やれなかった、のである。僕は母親が流産した後にできた子なので、父方・母方の祖母が徹底的に保護し安全をはかり、家の外で遊ばせて怪我をしないようにと、両祖母が交代で来訪しては家の中で僕の遊び相手をしてくれた。お絵描き・あやとり等。
ある日、母の姉(つまり伯母)が来訪して、自分の息子と一緒に僕を公園に連れて行ってくれた。そこには滑り台というものがあった。梯子を登って上についたら座って滑り降りるのだと言っていた。伯母の息子は楽しそうに登り、滑る。僕は高いところに登っても滑れなかった。
長じて母から聞いた話だが伯母は母に、この子は成長が遅れてるんじゃないかと言ったそうだ。子供には成長に伴う行動があり、当時の僕の年齢では滑り台ができて当たり前との事だったそうだ。
そうか、だが、当時の僕にも言い分があった。
当時の僕は先に書いた通り室内の遊びのみで育った。これは伯母も知っている。
だから、だ。【滑り台】なるその物体。初めて見る自分より大きな金属の組み合わせが怖かった。
しかもだ。初めて見たこの固い変な物体に登れだ?自分の頭より高い所まで?怖いんだよ!落ちるとか以前に、高い所が怖いのは本能であって、『成長が遅れている』よりも危険察知の意味ではむしろ賢いだろ!と。
もちろん保育園児にそんな説明はできる訳もなく僕は滑り台のてっぺんで泣くのみだった。それでこの日の出来事は終わった。
ちなみに、滑り台が怖くて滑れなかった僕は、登った梯子を一人でおっかなびっくりに降りて地上に戻った。
自分の息子を『成長が遅れている』と言われた母は、伯母と話し込むのみだった。
登ってからどう行動するか。または励ますか。あるいは一緒に滑って遊ぶとか、
そういった行動は全くとる事はなかった。
【滑り台】なるものが何なのか解らないまま、この数年後に僕は小学生になった。
その結果はまた機会あれば書こうと思う。
(学童期)。
保育園を卒園した翌日、僕はなぜか窮屈な服を着せられ帽子を被らされた。
四角くて硬い物体を背中に括り付けられ、みんなと一緒に行け!と言われた。
今でもはっきり覚えているが、『行け!』と言われたが『どこに』とは言われていない。
ただ、保育園を一緒に卒園した近所の友達について歩いて、『行った』。
着いた所はデカい建物。
自分と同じ歳くらいの子供が大勢いたのでおしゃべりしていた。
室内に連れていかれた。ここに座れと言われた席に座った。
誰か知らないが、おばさんが前に出てきて、なにかを話していた。みんなが『はい!』と繰り返していた。
パンとか牛乳とか食べ物が出てきたので食べた。うまかった。
よくわからないが、みんなについて行って歩き、家に着いた。
母親が、どうだった?と聞いた。
どうだったも何も、何がどうだかが解らないので『うん』としか返事ができなかった。
なーんたら何しに行ったの!と言われた。
いや、何しに行かされたか、質問したいのはこっちだったのだが、滑り台エピソード同様、子供の僕には反論する弁どころか、状況自体が解らないので黙っているしかなかった。
【小学校】というものを知ったのは数日後、しかも登校していた他の生徒に質問してから教わったのである。
今もって信じられない事実だが、僕の両親は、【小学校】という建造物にただ行かせれば、僕が小学生として過ごせると思っていたとの事だった。
世の中のいわゆる【一般的な普通の人】の子供時代は、みんな自動的に自己学習できて学校の意味と意義を認識できたのだろう。
今に至る僕の能力の無さを暗示する出来事であり、始まりである。